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ドクター・スタッフ紹介

アドバイザーインタビュー

アドバイザー 渡部 憲裕

渡部 憲裕

経歴

1986年3月 鶴見大学歯学部卒業
1986年4月 昭和大学歯学部第Ⅰ口腔外科入局
1987年5月 渡部歯科医院開院
1992年1月 医療法人社団裕正会設立
1992年9月 イースト21デンタルオフィス開院
1994年8月 新宿パークタワー歯科開院
1996年8月 東京オペラシティ歯科開院
2001年10月 トピレック歯科開設
2002年10月 品川シーサイド歯科開設
2003年4月 汐留シティセンター歯科開設
2004年9月 品川シーサイドイーストタワー歯科開設

学会等

  1. 米国歯周病学会会員
  2. 米国審美歯科学会会員
  3. 日本顎咬合学会会員 認定医
  4. 日本口腔インプラント学会会
  5. 日本審美歯科学会会員 他

アドバイザーインタビュー

どのような少年時代をおすごしでしたか?

池田 寛

父親が高円寺に自宅兼で開業していたため、そこで育ちました。

小学校の時は、野球をして中高ではバドミントンをして楽しくやってましたね。

歯医者になろうと思ったのはいつ頃ですか?

池田 寛

小さい頃から、父親の背中を見て育ってたので、無意識に自分もそうなるんだろうなと思ってました。

その当時の70年代後半~80年代は、まだまだ歯科医院が少なく、コミュニケーションを大切にしていた治療スタイルでもあったことから、父親の医院には1日100人近くの患者さんが来院され、本当に忙しそうだった記憶があります。

そんな父が、「これからは歯科は厳しいし、ずっと体を酷使しないといけないから大変だから医者になれ」、とアドバイスをくれたこともありました。

結果的には、歯学部に進学されました?

そうですね。やはり、父親の影響が大きかったんだと思います。

患者さんとのコミュニケーションをしっかりととって治療を進めていく診療スタイルの基礎は、父親から多くを学びました。 進学した鶴見歯科大学は、その当時は比較的ゆったりとした雰囲気でした。大学では、ゴルフ部に所属し、テニスもしながら学生生活を楽しんでましたね。

5年生からの臨床実習では、自分でいうのも何なんですが、同期の中では1番早く終わりました。その当時の鶴見の臨床システムはよくできていて、患者さまに「待つけれども経験豊富なドクター」、または「すぐに治療を受けられる研修医」を選んで頂く仕組みでした。

来院患者さまが多いため、結果的に研修医が診療する機会に恵まれたのもこの仕組みがあったからだと思います。その当時から、患者さまとのコミュニケーションをしっかりととる診療スタイルで多くの臨床をさせて頂きました。そうしたこともあってか、お中元やお歳暮、中にはラブレターを頂いたこともありました(笑)

卒業後は、すぐにご開業されました

父が体を壊してしまったことがきっかけでした。

その当時、高円寺では父が分院展開をしていたんですが、体を壊してしまったことをきっかけに廃院するか、引き継ぐかの選択を迫られました。

結果的には、リニューアル開業という形で引き継ぎました。 開業してからは、死に物狂いで働きましたね。今の裕正会とは違って、土日診療もしていましたし、夜間も10時まで診療していました。13坪でユニット2台でやっていたのですが、朝から晩まで本当に多くの患者さんが来院されました。

ただ、治療技術を磨かないといけないと現場で痛感していたので、週末や平日の昼間など、同級生や後輩にバイトで手伝ってもらいながら、その時間で技術講習会に出て勉強していました。

その当時は、補綴、ぺリオ、咬合に関することが多かったですね。月に40万~50万円は勉強投資していたと思いますよ。

5年後に医療法人化し、その後分院展開へと転機をむかえました

池田 寛

無我夢中で働き続けて、あっという間に時間が経ちました。

あの当時の診療スタイルでは長く続かないなと感じていましたし、父もそれが原因で体を壊してしまったこともあり、マネジメント、管理そして働く環境をしっかりと創りあげていくことが重要だと考えました。

そんな折、オフィスビルで勤務している先輩の話を聞き、日中の平日昼間で、競合がいない、ある程度の人数が見込める再開発のオフィスビルは自分の目指す方向だなと感じ、入居にむけて画策しました。

その時に創りあげた、「Clean」、「Communicative」、「Creative」という3つのコンセプトは、その当時から今に至るまで変わっていませんね。

分院展開を進める上での経営面での課題をどのように感じていかれましたか?

治療風景

女性が働きやすい環境作りが大切と考えました。

イースト21を立ち上げてから、約2年のスパンで次々と立ち上げていく中で、スタッフの数が多くなってきました。そうした、人のマネジメントに始まり、女性スタッフも多い職場なので、女性が働きやすい環境を意識して配慮するようになりました。

また、どこの医院でも一定の質の高い医療を提供するために教育投資を積極的に行い、治療レベルの標準化にむけて経営努力しました。

標準化に向けては具体的にはどのような取り組みをされていらっしゃいますか?

池田 寛

スタッフが治療しやすい環境を創り続けること。

スタッフが治療しやすい環境を創り続けることが何よりも重要だと考えてます。

特に診療メニューの多様性、価格の多様性を持ち、患者さまに選択できるような配慮をしています。また、ドクターの技術を高めるための講習会には、裕正会としての補助を出すなど、積極的な技術研鑽を奨励してます。

私自身も、人に教わることから治療技術を高めてきたので、投資だと思ってサポートしてます。

裕正会のグループは、どのような理念で今後の展開をされていかれるのでしょうか?

患者様との「Face to Face」のコミュニケーション。

やはり、患者様との「Face to Face」のコミュニケーションを大切にした診療を日々心掛けることが大切だと思ってます。

そうしたコミュニケーションを支える治療技術、診療メニューの標準化を目指してます。

実際に患者さまの会社が、裕正会グループのオフィスビル間で移転されることもあるので、同グループの診療はどこでも質の高い治療を受けられると患者さまに思って頂ければ何よりですね。